藤井 あきら(ふじい・あきら)

キャッチフレーズ…「私は改革に、YES!」

誕生日…1982(昭和57年)年5月18日

経歴

  • 世田谷区立 松原小学校 卒業
  • 世田谷区立 梅丘中学校 卒業
  • 東京都立 戸山高等学校 卒業
  • 京都大学 経済学部 経済学科 卒業
  • 北陸先端科学技術大学院大学 情報科学研究科 修了

職歴

2016(平成28)年 7月 小池百合子知事の選挙ボランティアに参加

2016(平成28)年10月 小池百合子政経塾「希望の塾」に参加

2017(平成29)年 1月 都議選選抜講座合格

エピソード【 幼少期 】1982年-1989年

福島県出身の父と、奄美大島出身の母の元、
3人兄妹の長男として東京都で育つ。

生まれたのは、母の実家の鹿児島県奄美大島(兄妹全員)
育ったのは、東京。母も仕事をしていたため、保育園に入園する。

二人の妹の面倒をよく見た。「長男として、面倒見がよい子だった」(母親談)

保育園では人が集まるガキ大将だった。よく覚えているのはケイドロをみんなでして、最後にみんなを逃がしたこと。 今思い返すとこの時が人生で唯一のモテ期だった。

エピソード【 小学校 】1989年-1995年

地元の小学校へ入学する。
そろばんを習っていた(1級)ので、算数は得意だった。

6年生時のあゆみ(通知表)には「委員長を二期務めていたこともあり、 みんなに大声で指示を出したり、地味な仕事もコツコツとやり遂げたり、 リーダー性も芽生えてきています」とある。

学年が上がるにつれて、運動が出来るようになった。
小学校高学年では、クラスを代表してリレーの選手に選ばれたのが嬉しかった。 4年生から始めたサッカーは中学校卒業まで続け、今でもフットサルなどに参加している。

夏休みは奄美大島、冬休みは福島で、まるまる過ごしていた。
夏休み40日間を奄美大島で過ごして東京に戻ると、方言やイントネーションがうつっていた。

エピソード【 中学校 】1995年-1998年

中学時代は3年間学級委員長を務めた。
3年時の担当から「もっと積極的に何事にもリーダーシップを発揮してもらいたいものです。 学級だけではなく、学年、学校のリーダーになるつもりで取り組んでください」と期待されている。

今も、小学校・中学校の繋がりが強く、友人と集まることは多い。最近は、友人たちは夫婦子連れで、 「保育所に入れなかった」など子育ての悩みを聞くことも多くなった。実際に仕事を辞めた友人もいる。

エピソード【 高校 】1998年-2001年

東京都立戸山高等学校へ入学する。
制服もない自由な校風で、楽しく過ごすことができた。 自由な反面、勉強は自己責任だ(あまり大きな声では言えないが、2年浪人をしている)。

バスケットボール部に入部する。
『黒子のバスケ』の藤巻忠利氏とは同級生で、一緒にバスケ部に体験入部したのを覚えている。 青春を謳歌するため、親友たちと音楽鑑賞同好会(趣味部)を立ち上げる。 60年代~90年代の米国や英国のロックを主に聴いていた。

エピソード【 大学 】2003年-2007年

京都大学 経済学部へ入学する。
応用ミクロ経済学の宇高 淳郎助教授(当時)のもと、 ゲーム理論や戦略の経済学を学ぶ。授業だけでなく、 大学の寮では学部や学年、国籍の垣根を超えた多様な人と交流をする。

政治学、雑草、東洋医学の研究をしている人や、その後医者や弁護士に なった人などと、それぞれの専門分野を背景として、多くの議論を毎晩のように したことは現在の財産になっている。中国人留学生から教えてもらった、 餃子の皮の作り方を元に今も餃子パーティをしている。

普段の生活からメガネをかけるようになったのは、大学に入ってから。

就職活動の際に、多くの女性が自分のやりたいことではなく、 結婚や子供を産んでも働ける環境を重視していることに、とても驚いた。

京都大学の卒業式はコスプレで有名だが、私はコスプレはせずに普通に 祖母の織った大島紬を着て、妹の子供を抱っこして参加した。

エピソード【 社会人 】2007年-現在

日本マイクロソフト株式会社へ新卒で入社する。
大手法人の営業部で、流通・サービス部門の法人営業として、 主に総合商社などを担当させていただいた。

ITを使って、お客様の「働き方」を改革するプロジェクトに携わらせていただいた。

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